OliverFUJIFILM写真館

FUJIFILMのカメラX-PRO2で写真を撮りながら奈良を散策しています。

なぜストリートで傘をさす人を撮るのか、という話。X-Pro2作例

先日street photography japan awards 2022がスタートしました。

www.streetphotographyjapan.com


それに伴って僕のtwitterタイムラインにも気合いの入ったストリート写真がいつも以上に流れてきます。
それらを見ていて気付いたのですが、かなりの数「傘を差して歩く人物」の写真が見られます。
今となっては単にソール・ライターを模倣したものも少なくないでしょうが、そもそもソール・ライターを含め、なぜ人はそういった写真を撮ったり、そういった写真に惹かれたりするのか、ここ数日はこればかり考えています。

ちなみにタイトルづけの便宜上「傘を差して歩く人物」と言いましたが、これは単なる例示であって、より本質的には「”個”を削いだ人間」というべきなのかな、と思っています。

 

今日のテーマ:人間の”個”を削いで撮る意味・目的とは何か

したがって今回のテーマは次です。

なぜ人は”個”を削いだ人間の写された写真に惹かれるのか。

まだ自分の中で確信には至っていませんが、おおよその見当をつけるところまではいきました。
現時点での仮説は以下です。

  • ”個”を削いだ人間を写すこと、あるいは”個”を隠して人間を写すことは、無数の”個”が集まり、”個”が希薄化・均一化して生まれる”都市”という概念の一つの本質を暴露する特権的行為だから
  • 人間の顔を隠して写すなどして”個”を削ぐというのは、いわば髪をカラーリングする前にブリーチするようなもので、そうすることで”都市”がもつ様々な側面(洗練さ、にぎわい、奇抜さ、可笑しみなどなど)をより明快に表現できるようになるから

隠されているものって、何が隠れているのか見たくなるし、それを自分だけが見ることができたときには快感を得たり、満たされたりしませんか?
袋とじとか、人の秘密とか。

 

例えば下の写真。
どちらも同じ商店街で撮った写真です。

1枚目だけでもショッキングな状況なんですが、これを撮ったあともぶらぶらしているとまたマネキンを見つけました。それが2枚目です。

補足すると、1枚目のマネキンはそれでも一応ブティックの軒下に置かれていましたが、2枚目のマネキンはこぎれいな服を着せられてはいるものの野ざらしで、さらには放置自転車に囲まれていて、その扱われ方は1枚目のマネキンより酷......。

こうやって2体のマネキンを見比べていると、一体2枚目のマネキンのブラウスの下にはどんな秘密が隠されているのか、そんな妙な好奇心が湧いてきませんか。

ちなみにこの2枚をtwitterに投稿したときのキャプションは”Erina”だったと思います。
元ネタはエリナ・ペンドルトンです。自分でもひきますがすぐにジョジョのこのシーンが浮かびました。かなり過剰に描写されていますが、この少年たちの表情よ......。

なお言っておきますがマネキン2体の写真をTwitterにあげたのは、最近「情景○○」みたいなただの「脈絡はないがとりあえず意味ありげなシチュエーションで撮った全部は見せない微エロ写真」がもてはやされていることへのささやかな抗議としてであって、僕個人の性癖とかではありません。
と真面目に誤解されたくなくて言っているのに、リンク張ったら下の表示......悲しい。

dic.pixiv.net


とまあ仕切り直して!上に書いたようなところまでは頭の中で考えられました。
しかしこの考えに至った後、まだ実際に街で撮ってみていないので、果たしてこれが的確なのか、確信が持てずにずっと頭の中がもやもやしています。

早く街で撮って確かめたいです。
みなさんはどう思われますか?

それでは。